ダイヤの原石に気付ける人はそう多くない

ダイヤの原石に気付ける人はそう多くない
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アイデアは思いつくものではなく考え抜くもの

何かを生み出す為には、偶然の産物というものはあり得ないと私は思っています。

考えに考え抜いて、行き詰ったところから、ちょっとしたことから浮かぶ斬新なアイデアや、誰かのこぼした何の変哲もない一言から形作られた商品などはあるにせよ、そこには常日頃から、アンテナを張り感受性の感度を高い値で持ち続けた先に見つけたもののように、それなりの過程の上に積み上げられた結果、手に入れたものだと思うんです。



本気になって向き合わなければ、自分が求めているようなアイデアは空からなんて降ってこない。そもそも、目の前に転がってきたとしてもそのような人には、それが「ダイヤの原石」か「ただの埃」かということに気がつかずに、目の前をただ通り過ぎていっていまうものです。

現代であたり前となっている物事や様々なツールも、過去に誰かが考え抜いて形にしたからこそ、我々がその恩恵を受けることができて、より便利な社会になっているという感謝のすべき気持ちを、きっと多くの人が忘れてしまっているのではないでしょうか。

待っていれば良いことがある。そんな都合の良い話はないもので、前に進まなければ景色は変わらないし、変化の風にも気が付けない。立ち止まっているだけでは自分の立ち位置さえも曖昧で、すべてのものが後ろの方に流れていくのを眺めることしかできないまま時間が過ぎ、気付いた時には、それなりに年を重ねているんだと思います。

あの有名なアインシュタインはこう言いました。

「私は頭が良いわけではない、ただ人よりも長い時間、問題と向き合うようにしているだけだ」

人はそれを単に努力という簡単な言葉でまとめてしまうけれど、それはきっと努力という意味合いなんかではなくて、その当人にとっては必然的なことにしか過ぎない。気になることは知りたいだけ。見たいからその場に足を運んだだけ。そんな風に努力とは違った意識の中で、自分に正直に行動しているその様を、人は努力と呼んでいるだけな気がします。

自分で何かを生み出したいのなら、そのためにするべきことや、考えることはたくさんあるものです。何もしないで運に任せるような道を歩いているのなら、今すぐに道を外れて自分だけの道を開拓し、一歩踏み出すことが必要なのかもしれません。

未来を変えていくということは容易いことではないはずで、大変なこともあるし、苦労も多い、だからこそやる意味があるんだろう。そういったキッカケにもなる『僕たちはアイデアひとつで未来を変えていく。(アスコム、島田始著)』です。

待つ姿勢をそろそろやめて、進むべき時というものがきっとあるのでしょう。それこそ、その人次第でそのタイミングは決めることができる。今でも、まだ少し先でもそれは構わないのだろうけれど・・・。

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