仕事の本質とは何か・・・
「仕事こそ生きがいだ。」そう言う人も確かにいる。「仕事なんて本当はしたくないよ。」そう言う人もまたいる。でもどちらかというと、前向きに考えて仕事をしている人の方が、どこか偉いような雰囲気が存在するのは否定が出来ない。しかし、本当にそうなのだろうか?『「やりがいのある仕事」という幻想(朝日新書、森博嗣著)』
こんなことを言うと、やる気のないやつだと思われるかもしれないが、殆どの人は仕事なんてしたくないと思っているような気がする。仕方がないから働くし、お金が必要だからやるしかない。そう割り切っていかないと、割り切れるものも割り切れないからに他ならない。
仕事というものは、今どんな服を着ているのか、というのと同じくらい、人間の本質ではない。
確かに、職種や立場などは仕事の枠の中では極めて重要な要素かもしれないが、もっと広い人間という括りで考えてみると、どんな仕事をしていようと、どんな立場であろうと、人間性にとってはあまり重要な要素ではない。
働き方に常識はないし、もっと自由であるべきだ
ここのところ、通常の仕事をしながら副業をするという会社員も増えてきている。会社がそれを許しているかどうかは置いておいて、やりたいことがあるのであればいつだってそれは始めることができる。そんな時代だということは誰でも理解しているはずだ。
常識と思われることが、いつまでも常識とは限らない。
たとえば、一人の人間が一つしか仕事をしない、というのも不思議な話である。
人生の選択に正解も不正解もない
人生は選択の連続である。どちらかを選ぶことで、その後の人生もまた変化していく。ただ、多くの人は自分の選択肢が間違いではないと思いたいもの。何か間違いを犯してしまったとき、それは失敗ではなく、単純に軽率なミスだったと言い訳をする人が実に多い。
人生の選択というのは、どちらが正しい、どちらが間違いという解答はない。
本当にやりたいことのためには何をすべきか。
好きなことだけして暮らしたい。それは誰にとっても当たり前のこと。ただし、その好きなことをやるためには、どうしたってお金が必要なことが極めて多い。では、そのお金を稼ぐためにはどうしたらいいのか。その手段のひとつに労働がある。労働をすることで好きなことをする資金が手に入るのであれば、その労働も含めて自分の好きなことであり、進むべき道なのかを考えるべきだ。それでも間違いなく正しいと歩いて行けるのであれば、それはきっと「我慢」とは呼ばない。
もし、やりたいことには資金が必要だ、という場合は、これはそれだけの金を稼ぐ方法を探さなければならない。それも「やりたいこと」の一部だと認識するしかない。そうまでしてやりたくない、というのなら、それは「本当にやりたいこと」とはいえない。
趣味は何ですか?と聞かれていつも困る
そういえば今日、美容院で髪を切ってもらっているときにスタイリストさんから「趣味は何ですか?」と聞かれた。その質問に対して、即座に答えることが出来ず曖昧な回答をしてしまった。自分の趣味って何だろうか?真剣に考えると尚更、正直良くわからない・・・。どのラインから好きなことが趣味と呼べるものになるのか?趣味の概念とは?なんてややこしい思考回路になって埒が明かない。もっと単純に考えて答えればよかったと今になって思う。
趣味というのは、友達を作るためのものではないし、友達がいないと楽しめないものでもない。
そもそも、やりがいなんて必要なのか?
やりがいのある仕事がしたい。そんなことを言っている時点で、あなたが本当にやりたいことだと思っていることは、おそらくただの娯楽感覚なのかもしれない。やりがいって何だろう?そんなふわふわとした不確かなものに理想を抱くほど、好きなことに夢中になっている人は考える暇さえない。
子供って、遊びに「人生のやりがい」を見つけているのだろうか?大人だけが、そんな変な言葉を持ち出して、自分の経験を歪曲しようとするのである。